2.近年のフュリアス・ジョージ

ここ最近のフュリアス・ジョージの活躍は目覚しい。1999年はカナディアンナショナルズ優勝、UPAナショナルズでは準決勝でこの年に前人未踏の6連覇を果たしたドッグ(Death or Glory:ボストン)に僅差で敗れるものの3位。2000年はカナディアンナショナルズ決勝戦を17-1という大差で制し、ドイツ・ハイルブロンで行われた世界選手権ではカナダ代表が3位。UPAナショナルズでは初の決勝進出を果たし、コンドルズ(Condors:サンタ・バーバラ)に一点差で破れたものの準優勝。そして記憶に新しい2001年ワールドゲームズ秋田では、5人のフュリアス・ジョージメンバーを送り出し、見事カナダ代表が優勝。誰もが認める世界の強豪と言われるようになる。
そんなフュリアス・ジョージでも世界選手権よりも優勝するのが難しいと言われる、事実上の世界一決定戦・UPAナショナルズのタイトルを手にすることはできなかった。ワールドゲームズでカナダ代表が優勝を果たした2001年は準決勝でジャム(JAM:サンフランシスコ)に敗れ、3位に終わる。
そして2002年、フュリアス・ジョージがとうとう事実上の世界一になる日が訪れる。8月にハワイで行われた世界クラブチーム選手権では準決勝でドッグに、3位決定戦でサカイ(Sockeye:シアトル)に破れ4位に終わるものの、そこで明らかになった課題点を修整し、直後のトーナメントでジャム、サカイ、コンドルズ抑え優勝。そしてフロリダで行われた2002年UPAナショナルズでは予選リーグでジョニーブラボー(Johnny Bravo:ボルダー)に予想外の敗戦を喫するも、準々決勝でサブゼロ(Subzero:ミネアポリス)、準決勝でドッグ、決勝戦でリング・オブ・ファイア(Ring of Fire:ラリ)を破り、見事、初優勝を果たすことになる。この年のUPAナショナルズは、ジャムが予選敗退、2000年・2001年と2連覇中で、8月の世界クラブチーム選手権も制したコンドルズが準々決勝で姿を消すなど、混戦であったが、ベテランと中堅・若手がうまく融合しチームが一つにまとまったフュリアス・ジョージが制する結果となった。特に二人の19歳のプレーヤーの活躍は今後のフュリアス・ジョージ時代を到来を予感させるものであった。
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